深い青色の空を背景にして建つ「黄色い家」は、ゴッホのアルル時代を象徴する重要な建物である。1888年2月、南仏のアルルに到着したゴッホは、互いに助け合って制作する芸術家の共同体を作るという理想を実現するため、ラマルティーヌ広場にアトリエを兼ねた住居、通称「黄色い家」を借り、5月から引っ越しの準備を始めた。家具がそろった9月になってようやく引っ越し、その時に描いたのが当作品であり、ゴーギャンを待ちわびるゴッホの寝室も同時期に描かれた(ゴッホ美術館)。10月にはゴッホに懇願されたゴーギャンが到着し、二人の共同生活が始まったが、性格も芸術に対する姿勢も異なる二人の生活は2ヶ月で破綻。12月23日ゴッホが自らの耳を傷つける事件で、共同体の夢はもろくも崩壊したのである。翌年4月、サン=レミの精神病院に自発的に入院したゴッホは、夢に終わった共同生活を想起しながら、《アルルのゴッホの寝室》のレプリカを2枚描いている(オルセー美術館、シカゴ美術研究所)。 |
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